誕生日という節目にBOTTEGA VENETA

f:id:saw_ch:20200218085105j:image

2月で24歳を迎えた私だが、人生の節目には何か自分に対してリワードを与えたくなるものだ。そんな時、候補に上がるものは大体バッグか時計である。とりわけ、流行にとらわれず、人生を共にする相棒的な存在を愛でる私の観念からすれば、どちらの選択肢も妥当だろう。しかし、昨夏に時計(AP)を購入した私にとって、またしても時計購入というわけには行かないものである。資金も勢いも残っていない。そして、バッグに関していえば昨年の同じく誕生日に購入したSaintLaurentのバックパック以来であり、今回新しく新調するにはいい機会であった。

さて、長く愛用できるバッグとはよく聞く謳い文句であるが、市場に出回るプロダクトの中でどれだけのものがそれに該当するだろう。長く愛用するためには《耐久性》と《ライフスタイル》にあったバッグ選びが重要になってくるが、ここで最も厄介になのが《トレンド》である。少なくとも、現在のトレンドである肩掛けのウエストバッグは数年後には時代遅れになるだろうから、トレンドというものは恐ろしい。ただ、少なくともウエストバッグが流行したのはコンシューマーのライフスタイルが変化したからであり、こういった点から見ると短命とは言い切れないのもまたしかりである。

一生ものバッグの代名詞であるHERMESバーキンは本当に素晴らしいプロダクトである。バーキンはサイズ展開による流行こそあるが、デザインの廃れは一切なく、メンズ・ウィメンズ共にサマになる。品質も別格の域であり、きめ細やかな上質なレザーは素人目で見ても明らかな違いがある。裁断面のコバ処理や稜線を描いたステッチの美しさは目を見張るものがあり、ルイヴィトンやグッチなどの中格メゾンとは一線を画す。トレンドに左右されず、メゾン独自のデザインプロダクトが確立されている点で言えばFENDIのピーカブーやSaintLaurentのサック・ド・ジュールなども同様か。しかし、これらのバッグは高額であり、愛用するにも気が引けてしまうものである。

長く愛用する上で、バッグの耐久性も重要である。様々なバッグを使用すると、どの箇所から劣化していくかが大体わかる。角の擦れやハンドルの劣化など、物が触れたり接触する箇所は特にそうだ。使用していく中で、これらの劣化は避けられないが、ケアやリペアができるかは重要である。擦れが考えられる箇所はなるべく補強されていることが望ましいし、ハンドルなどの消耗箇所は取り替えが容易であったほうがいい。これらを考えるとルイヴィトンのプロダクトはよく出来ている事に感心される。凡そのバッグはハンドル接合部に金具がかましてあり、角は落としてあったり補強されていたりと、これであれば長く愛用できるだろうと思わせてくれる。

f:id:saw_ch:20200219181244j:image

さて、前置きが長くなったが、今回の購入品はBOTTEGA VENETAのバックパックである。オリーブカラーのボディは厚手のキャンバス、一部別体はカーフレザーである。ボッテガと言えば、ラムレザーのしなやかなイントレチャートが至高と言われるが、もうラムレザーの扱いには疲れた。そして、ボッテガのカーフは思った以上にしなやかな手触りである。これはレザー本来のタッチであるか、表面の顔料によるものかは定かではないが、例えるならばルイヴィトンに使われる別体レザーに似ているが、これよりは幾分しなやかである。

f:id:saw_ch:20200218085838j:image

ボディサイドにはイントレチャートがあしらわれたポケットが付属されている。ボッテガのイントレチャートは編み込むというよりは、ベースのレザーに別体を通す構造であり、こういった細部の仕様がいちいち心惹かれるものである。ボッテガのイントレチャートが高耐久だと言われる所以だろう。そして、トップカバーの留め具に関してもイントレチャートのモチーフがあしらわれ、ロゴがなくとも分かる人には一目でボッテガであることを象徴させる。

f:id:saw_ch:20200218085852j:image

ボッテガのバックパックに見られる特徴的な仕様として、ショルダーストラップが左右一対になった接続部である。ストラップの劣化に伴う最悪の状態であっても、リペアの余地が施されている設計はなんとも有難い。ストラップの調整パーツはバックルタイプであり、通し穴がメタルパーツで補強されるなど、こういった細部に至る耐久面での配慮は好感が持てる。ライナーにはジップポケットが付属され、ロゴ入りエンボス加工のレザーアップリケがあしらわれている。ライナーカラーはいかにもボッテガといった色合いで、個人的にはグッドである。

購入にあたり決め手となった要点は、やはり細部の作り込みまで考えられていることであるが、デザイン面でも廃れなく使っていけることに確信を持てたことが大きい。ハンズフリーになるショルダーやバックパックは間違いなく今のトレンドであり、一昔前を思い返すと信じられないほどバックパック人口が急増している。今後このトレンドは間違いなく後退していくものだろう。しかし、ルイヴィトンのクリストファーPM(定番バックパック)はすでにブランドのアイコニックとなり、同様のディテールを持つボッテガのバックパックもまたしかりだと考えたためだ。定番というものは、それだけの効力があるものだと感じる。実用においては言わずもがな、1泊2日のプチ旅行であれば荷物の少ない私であれば十分すぎる収納力である。

f:id:saw_ch:20200223180850j:image

バッグに対して、私は特別な感情を抱いているのかもしれない。大切な私物を収納するツールであると同時に、その人の人間像が現れるアイテムがバッグであると感じる。故に、私はこの存在を大事にしていきたい。人生の節目にボッテガをコレクションに迎え入れ、新たな旅路を歩んでいきたい。

機械式時計における精度の重要性

f:id:saw_ch:20200101215012j:image

cosc.swiss 出典

機械式時計に精度を求める事はナンセンスな事だろうか。現代ではクォーツで十分な精度は期待できるし、ましてやスマホであれば電波時計と同等の精度であり、日常生活においては十分過ぎる程だろう。では、現代の機械式時計における精度のアドバンテージは如何程だろうか。

以前の私であれば機械式時計は審美性こそ至高であると想っていた。もちろん、先述に関しては決して間違いではないだろうし、やはり美しいケースやムーブメントを見ると、これこそ機械式時計の真髄であり、現代の精密工作技術と職人技が上手く昇華された形の一つだと感じる。しかし、機械式時計であっても時間を計測するツールであることに変わりなく、"美観を持ち合わせていたとしても精度の追求を欠くことはできない"と最近想えるようになった。新来者が陥りやすい固定観念として、実用精度はスマホ時間で割り切り、機械式時計に求める核は審美性といった見解だ。しかし、機械式時計において精度と審美性は異なったベクトルであり、両者のバランスが絶妙に保たれていることが理想だろう。つまり、一方が卓越した水準に達していても、もう一方が欠如していては台無しだというのが私の見解である。

ここで記す"精度"とは、アッセンブリー後の静態精度ではなく、設計段階における精度への配慮である。つまり、評価すべきは日常生活における精度への信頼性ではなく、各メーカーがムーブメントを設計するに当たって高精度を実現させようというポリシーとロジカルな設計である(結果として高精度でなければならないことは言わずもがなだが)。例とするならば、オメガのコーアクシャル脱進機やロレックスのクロナジーエスケープメントの類だろう。こういったムーブメントは一括りに賛美性の観点で評価できず、メーカーが純粋に精度を追求した産物であり、こういった試みに感受することで市場に出回った様々なムーブメントを再評価できる。

f:id:saw_ch:20200102124209j:image

ジュールオーデマがコレクションに加わったというのは私にとって一つのターニングポイントである。機械式時計における審美性の観点において、オーデマピゲの伝統的なスタイルの継承とJLC史上最高傑作であるcal.920入りをもって一つの待望を達成した心情であり、以降の価値指標を担う存在でもある。伴って、今後はさらなる沼に足を踏み入れるも良しだが、別の方向性でコレクションを拡充させることも一手だと感じたことが、このエントリを書するに至った根底である。

ここ数年のムーブメント革新について

f:id:saw_ch:20191230154348j:image

近年著しいムーブメントの改新は、メーカーや独立時計師からすれば歓迎であり、消費者にとってもその恩恵は大きい。私が時計界隈に関心を持ち始めたのは5年程前であり、当時は時計の選択肢が限定的であった。具体的にいうと、各メーカーから多様なプロダクトが混在する中で、ムーブメントは類似しているという状態である。当時のマスプロダクトは水平分業型が主であり、各社がETA2020年問題を抱える中で自社ムーブ開発に注力していた時期であった。当時でいえば、ロレックスの31系やJLCの899系と822が群を抜いており、オメガはコーアクシャル1世代機、タグホイヤーはcal.1887とcal.5(ETA)、ブライトリングはB01とETAやValjouxといった要はエタブリスール全盛期である。先述したコーアクシャルやcal.1887は新設計されたキャリバーではなく、ベースありきの改良ムーブメントである。プロダクトのマーケティングは"自社ムーブメント搭載"が謳い文句で、消費者はこれに対して懐疑的な情態であり、つまりは何が自社ムーブであるかその定義自体が曖昧であった。

様々なプロダクトが生産される中で、ムーブが同一であることはあまりにも不服である。各社が共通して使用していたエボーシュは主にETA28系(自動巻センセコ)やUnitas64系(懐中スモセコ)、Valjoux7750(自動巻クロノ)であった。メーカーはエボーシュの外観に独自性を持たせるため、ブリッジの形状や仕上げに変化を与えた。ブリッジの新造はCNCや穴石を正確に打ち込む設備があれば可能であり、ムーブメントの審美性を高める手法としては最も手っ取り早い。通例はティソやエポスのスケルトンダイヤル、ドイツメーカーの3/4プレート化といったところだろう。IWCポルトギーゼはValjoux7750のインダイヤルを偏心させたいわばエボーシュであるが、こういった試みもまた一つである。しかし、ブリッジの新造やスケルトナイズは審美性の向上に留まり、ムーブメントの本質的な改善には当然効果はなく、マニアからして見れば、あからさまなエボーシュ搭載機に気が滅入る気持ちもまたわかる。ただ、少なくともエボーシュをベースとした長時間PR改良ムーブや緩急針をトリオビスやスワンネックにモディファイしていたメーカーはあった。こういった状況下で脱進機やテンプ周りに改良を加える硬派なメーカーは然程なく、まずは見てくれ第一といったプロダクトが殆どであったことは確かである。

しかし、ここ数年ムーブメントの開発や革新が相次ぐことで、メーカーの思想や思惑がより具現化された時計群が増えてきた。時計市場全体が活性化された気がするし、とにかく私としては非常に面白い状態が続いている訳である。マニア受けするかは別として、脱進機改良の後押しとなった要因は間違いなくシリコンなどの全く新しいマテリアルが開発されたからであり、これの副産物として結果的にテンプのフリースプラング化(シリコンひげは緩急針との接触で割れるため)が普及するなど、1世代前では考えられないほどムーブメントの基礎設計が一新された。特にミドルレンジ帯ですらフリースプラングの採用が一般的となった現状では、数年前と比べ、明らかに技術革新が感じられる。

f:id:saw_ch:20191230160122j:image

各社HPより出典

シリコンのパテントはスウォッチであり、巨大コングロマリットの資金力と開発力は絶大だ。ここ数年ではブレゲのマグネティックピボットやオメガの第3世代コーアクシャルなどのプロダクトはマニアを沸かせたし、機械式時計の改心には発展の残余があることも感じられた。LVMHではタグホイヤーでカーボンを組成とした新しいひげゼンマイが開発されるなど、近年はマテリアルの開発競争が激しい(カーボンひげゼンマイが搭載されたオータヴィアはアッサリと製造中止されたがどうなったのだろう)。リシュモンではカルティエ率いるエボーシュ傘下のヴァルフルリエがコングロマリット内のベースムーブを供給する。ボーム&メルシェやパネライはこれをうまくモディファイしているし、当然の如くフリースプラングである。高級エボーシュになるとサンドファミリー財団率いるヴォーシェマニュファクチュールが筆頭だろう。VMF5400(マイクロスモセコ輪列)やVMF3000(小径自動巻)をベースとし、ムーンフェイズなどのモジュールからトゥールビヨンまで多様なムーブメントを自製する。特にVMF5400は独立系が好んでエボーシュに採用するなど、エボーシュメーカーとしての実績はすでに輝かしいものである(やはり浜口氏の存在が大きいか...)。

ここ数年で各社がこれ程までにムーブメントの開発に注力したのもETA問題が引き金であり、結果としてこのような環境を構築したのはスウォッチGのCEOであるニック・ハイエックの功績か。まぁ、目新しさには一切の興味を示さない私としては、シリコン脱進機などアウトオブ眼中なんだけどね。ただ、最近のコーアクシャル脱進機はかなり成熟した印象を受けるし、物としての魅力が最近わかってきたから、気になってはいるけどどれも高いね。

MooRER購入とレビュー

f:id:saw_ch:20191217183335p:image

MOORER HPより出典

時計以外の記事は初になるだろうが、今回はウェアの購入とレビューについてエントリ。私にとって時計以外にウェアや鞄、靴などの収集も趣味であるため、今後はこれらについても記事にしていきたい。

初回は《MooRER》についてであるが、このブランドは2006年イタリア ヴェローナ発祥の新興ブランドである。プロダクトの中枢はダウンウェアであるが、最近はデニムウェアやスプリングコート、ブルゾンなどフルラインでの展開を推し進めているようだ。ムーレーのウェアはハイクオリティであると共に機能性が高く、使用されるダウンは最高レベルのフィルパワーを待つホワイトグースである。本製品はダウン92%、フェザー8%であるが、採取されたダウンの中から微小なファザーをすべて取り除くことは物理的に不可能であり、この組成配合の数値は最高レベルだと言える。これらダウンを収めるファブリックは高密度ナイロン、ロロピアーナ社製ストームシステム、ビキューナ(希少素材であり製品は数百万)などの展開があり、主にビジネスウェアとして普及したメーカーであるが、最近はスポーツテイストのウェアも展開し始め、コレクションの拡張性が高まった。

f:id:saw_ch:20191219104846j:image

さて、今回の購入品は《CARACCIO-KM》というモデルである。シングルブレストの着丈長めのコートであり、表地のファブリックはポリエステル100%だ。生地感はモンクレールやタトラスに展開されている艶感のある光沢ナイロンではなく、プラダに採用されたリモンタ社製のナイロンを思わせる厚手のファブリックである。そのため、摩耗性や耐熱性が強靭であるとともに、軽量であるため着心地が良い。本製品はネイビーカラーのファブリックであるが、光源の反射により仄かにブラウンがかった色合いを見せるとともに、ファブリックの光沢感が上質なテクスチャーを演出する。

f:id:saw_ch:20191218112906j:image

首元にはヌートリアファーを備えており、保温性を保持している。ヌートリアファーは希少素材であるミンクファーと同様な質感があり、毛質は非常に軽く柔らかいため肌触りは極上である。胸元にはダッフルコートの象徴であるトグルが装飾されている。トグルは水牛角を円筒型に削り出し、ムーレーの刻印付きメタルパーツが双方から接合されている。トグルはレザーコードとレザーアップリケでウェア本体に取り付けられる。トグルの磨き上げは完璧であり、徹底された高いクオリティが散見できる。

f:id:saw_ch:20191218113002j:image

前見頃のシングルブレストはジップとボタンの二重閉めになっており防寒性を確保している。ジップやボタン、その他パーツはすべてオリジナルで製造されたロゴ入りのものであり、ブラウンに染められた水牛削り出しのボタンは艶感があり非常に美しい。艶感があるジッパーもオリジナルのロゴ入りであり、ロックジップが採用されている。ジッパーにはコーティング処理が施されており、非常にしなやかに稼働する。その他のスナップボタンやドローコードなども全てロゴ入りであり、細部にまで徹底したクオリティを誇る。

f:id:saw_ch:20191219104826j:image

ライニング(裏地)はナイロン100%であるが、キャプラのような高密度でしなやかなナイロンであり、袖通しは極上である。エンメティやその他ファクトリーブランドで仕立てられるハイクオリティウェアに共通することだが、一貫してライニングの肌馴染みが素晴らしい。思わず半袖Tシャツの上からスッと羽織りたくなるほど上質である。襟元はウール90%カシミア10%の切り替え素材となり、ファブリックの境界はゴールドカラーのパイピング処理が施されており、非常に美しい。ライニングのアップリケにはウェアの防寒性能が記してある。サーモメーターにカラー別で快適性を表しており、このモデルであれば15℃〜-25℃まで対応できることがわかる。

総評

f:id:saw_ch:20191230154252j:image

近頃、MooRERは多様なファッションメディアから取り上げられ、認知度も高まっているだろう。2018年には銀座の数寄屋橋交差点近くに路面店をオープンさせるまでに至る。私自身、3年ほど前からMOORERの存在は認知しており、いつかは欲しい1着であったため、ようやく念願を果たした想いだ。シルエットが極端なダウンウェアは長らく敬遠していた訳だが、MooRERのウェアは総じてシルエットが美しい。十分なダウン量を確保しつつ、全体的なシルエットをシャープに保つフィッティングは、まさにイタリアの美学に通ずる。上質なダウンウェアをお求めの方には是非一度袖を通してみてはいかがだろうか。

 

雲上時計の維持について

f:id:saw_ch:20191128093801j:image

《形あるものいつか壊れる》とは、諸行無常の中の一項だが、これは本当に全てのものに当てはまり、一生モノと言われる時計であってもこれに反することはできない。しかし、延命させる為の措置としてメンテナンスがあり、時計であればオーバーホールということになる。

先日のことである。私が所有しているVCオーバーシーズRef.47040のデイトが切り替わらないというトラブルが起こった。さて、デイトディスクの切り替えには基本的に2通りの動力経路がある。1つ目はリューズ(巻き芯)を一段引き、“オシドリ→カンヌキ→小鉄車→早送り車”に伝う動力である。2つ目は、主輪列からバイパスされた動力であり、2番車である“筒車→中間車→カレンダー送り車”となる。これがわかると、デイト切り替えに伴う不良トラブルの原因が、どちらの経路によるものか探求することができる。デイト切り替えで陥りやすいミスとして、日付操作禁止時間帯(21:00〜3:00)でデイト操作を行った場合だ。正子のデイト切り替えに伴い筒車からバイパスされた"カレンダー送り車"がデイトディスクに噛み合う。この段階で無理やり"早送り車"の入力でデイト操作を行うことで"カレンダー送り車"に負荷を与えてしまう。結果として、カレンダー送り車が損傷しデイトの切り替えが無効される(損傷を避けるため、送り車が逃げるムーブも存在するが、復帰にはOHを要する)。不良トラブルによる原因が分からなかったとしても、どちらの経路に問題があるかを探求することで、故障の原因や損傷部をある程度推測することが可能である。

問題となったオーバーシーズの症状は“早送り車"と"カレンダー送り車"、どちらの入力も無効される状態であった。つまり、トラブルの原因はこれら2系統がともに不良を起こしたということになる。不良トラブルとしては珍しい状態であり、考えられる原因としては衝撃によるこれら2系統の不良であろう。いろいろと頭を巡らせたのだが、結果としてオーバーシーズのデイト不良は短期的な症状で済み、何故かデイト入力は2系統ともにリカバリーされていた。全てが済んだわけではないが、現状は経過観察ということでOHは見過ごしたのだが、原因はなんだったのだろう(ディスクの動力を妨げるなにかか...)。

さて、ここからが本題である。《形あるものいつか壊れる》これの延命措置には必ずコストを要する。時計でいえばOHであり、メーカー推奨3〜5年/1回という頻度で5万〜15万(ピンキリ)程である。車では車検という明確なスパンがあるが、時計のOH頻度はオーナーの判断に委ねられる。問題は突如起こる不慮のトラブルである。対策は急を要し、的確な判断が求められる。正規メンテナンスを行うか外部の専門業者に委託するかであり、割安で済ませられるかは損傷箇所のドナーを専門業者が供給できるかに依存する。いずれにしてもコストはかかる。雲上時計ともなれば正規OHで10万以上であり、これに交換パーツ代を含め最低でも20万は見積もらなければならない(外部であっても、凡そ半値は必要)。しかし、OH代は天井がなく、交換パーツが膨れ上がることで費用も累積されるものだ。ここでオーナーはその時計の延命措置に対して数十万というコストを支払うよう提示される。時計の購入に際して高額なアフター費用は覚悟していたが、この状態が表面化することで雲上時計の維持に要するコストを漸く痛感することになる。今回のオーバーシーズを引き合いに出すと、VC正規OH13万円+デイト故障に伴うパーツ代金でざっと20万円。モノの維持とは常にこのリスクと隣り合わせであり、これの継続的な維持にこそオーナーの真価が問われる。老舗メーカーの謹厚な保証は魅力であるが、この金額を快く支払うことができる寛容な人間になりたいものだ。

f:id:saw_ch:20191205003422j:image

グランドセイコーの実用性について

f:id:saw_ch:20191118120818j:image

最近オンは専らGSである。よって、この時計の実用性について色々と書き連ねたいと思った次第だ。まず、本機はグランドセイコーカニカルSBGR053/SBGR253であり、これに基づきレビューを行う。実機レビューについてはこちらの記事をご参照していただきたい。グランドセイコー SBGR053/SBGR253 徹底解析 - なんでも語るブログ

リストウォッチの本来は精度と視認性、そして装着感が重要であり、実用時計と銘打っている以上、これらを如何に現実のものにするかが常である。そして、これを最も望ましい状態で具現化させることが設計陣の力量であり、最も重要なセクションであると感じる。

 

精度

f:id:saw_ch:20191118102110j:image

BOXには、検定合格証明書が同封され精度が保証される

時計は時刻を知るためのツールであり、機械式時計においても精度の追求は至上命題である。兼ねてからGSは精度に関して信念深い。スイスの天文学コンクールでトップの座に上り詰めたのは他でもなくSEIKOであり、この実績は往年にして語り継がれるべきである。さて、本機は9S65を搭載しており、調整基準に関しては社内で厳密な規格(GS規格)が設けられており、これに則って調整からアッセンブリーまで行われる。もちろん、精度はクロノメーター級に調整されており、実使用においてもすこぶる良好な精度をたたき出す。かく云う私のGSは携帯精度+3秒ほどであり、全くストレスのない数値だ。さて、機械式時計の精度というのは、歩度調整が全てではない。最後の頼み綱が歩度調整になるわけだが、設計段階における動力ゼンマイのトルク保持性、また輪列の伝達ロスや脱進機誤差なども全て精度に影響する。本機ではスプロン材による動力ゼンマイのトルク向上や保持性、MEMS技術による脱進機の軽量化により高い等時性を保つ。特にMEMSで製造されたガンギ車は極限まで中抜きされ、歯の端部に油だまりとなる溝を配するなど、これだけでもMEMS製造の技術レベルが窺える。そして、動力ゼンマイから解放されるトルクを常に一定に保つ自動巻も精度保持に起因するだろう。本機はリバーサーが採用される。巻き上げ車の不動作角が極端に小さいリバーサーは効率的に動力ゼンマイを巻き上げるため、非常に実用性が高く装着時に時計が止まってしまう心配はないだろう。そして、PRが72時間に設定された9Sは週末に時計を外しても翌週まで時計が動き続けることをコンセプトとしているが、これが実用にもたらす影響は大きい。機械式時計の時刻合わせは、秒単位まで正確に合わせるとなると数分を要するが、これを行うことなく時計が動き続ける長時間PRは今や各社が自社ムーブに採用する基準となっている。GSはシングルバレルの72時間PRであるが、長時間PRとトルクの安定性を両立させるのであればダブルバレルが定例だろう。しかし、巻き上げ効率の良いGSの自動巻機構が相まって、動力ゼンマイから解放されるトルクは常に一定であるため、問題はないだろう。

視認性

f:id:saw_ch:20191124102824j:image

セイコースタイルが継承された哲学的なダイヤルデザインはGSのシグネチャーである。極太のインデックスと針には多面ダイヤモンドカットが施され、あらゆる光源を反射する。夜光塗料が未塗布の本機であるが、暗所では少量の光源さえあればインデックスが輝きを放ちダイヤルを視認する事ができる。これが成立するには、インデックスに施されたダイヤモンドカットの筋目が歪みなく鋭角を保ち、切削面が適切な角度であるからだろう。時針、分針、秒針の長さはそれぞれインデックスの適切な位置まで指し、秒単位で確実に時刻を読み取れる。

f:id:saw_ch:20191124102850j:image

GSのブラックダイヤルはラッカー塗装であるが、極限まで平滑に磨き上げられることで艶感が増し、オニキスのような漆黒を思わせる色合いが美しい。スイスブランドの文字盤は、ラッカーを極薄に施す繊細な仕上がりこそ至高とされるが、GSは文字盤の耐久性を基本としラッカーは何層にも塗装された後、クリアの保護塗装が施される。このブラックダイヤルと植字されたインデックスの対照的なコントラストが視認性をより確かなものにする。

文字盤上の立体感とは非常に難しい問題である。立体感を出すには、複数のレイヤーを持つダイヤルに立体的なインデックス、これに極太の針を重ねる事である程度立体感は演出できるだろう。しかし、高級ウォッチメーカー群では、ダイヤルと針のクリアランスを可能な限り詰め、ダイヤルの見返しを低く保つ事こそ職人技が反映された至高のプロダクトとされる。これをうまく解決しているのは、老舗の薄型リストウォッチであり、限られた空間の中で立体感を演出する芸は非常に卓越した技術である。実用時計であればこれにある程度のクリアランスを設けるが、GSのプロダクトはどれも過大なほどに見返しが高いものばかりである。このダイヤルに設けられた空間を詰めることで、ベゼルからミドルケース、各所パーツへと反映され、より洗練されたプロダクトになると感じる。

装着性

f:id:saw_ch:20191124103102j:image

実用する中で最も重要とされるポイントは装着性だろう。ここが満たされなければリストウォッチとしては致命的である。GSにおいても、ここが不満点である。本機はケース径37mmと日本人の腕回りには収まりの良いサイズ感であるが、ケース厚は13.3mmである。ロレックスエクスプローラー1を引き合いに出すが、こちらはケース厚11.5mm。単純なケース厚の比較が装着性に反映されるわけではないが、やはりこの差は大きい。ムーブメント厚比では3132(Rolex)が5.37mmに対して9S65(GS)は5.9mmであり、0.5mmの差異はあるが主要因はケースであることがわかる。この分厚い9Sムーブメントを格納するため、40sのバブルバック(Rolex)を連想させる程膨れ上がった裏蓋を持つ。これは視覚的な薄型化を図るため、ミドルケース側面を弓型に削り出したためである。結果として、腕元への接地面は裏蓋のみであり、これを巻き付けるようにしてブレスレットが取り付けられる。

f:id:saw_ch:20191124102925j:image

ブレスレットは3連であり、オイスターブレスのような擬似3連ではないため非常にしなやかである。特に感心させられるのはバックルであり、プッシャーを押すことで瞬時に脱着ができるため気持ちが良い。装着性であるが、13.3mmのケース厚に対してブレスレットは華奢であり、時計を腕に載せてる感は否めない。装着感を改善させるためには、時計の重心を低く保つ事が定説である。本機でいえば、裏蓋を薄くすることでミドルケースの重心が低く保たれ、伴ってダイヤルの見返しが薄くなることで、理想的な形になるのではないかと思う。もちろんこれ程単純な話ではないわけだが。

総評

実用時計として十分なスペックを備えた本機であるが、やはり不満点は装着感に尽きる。これを機械式時計的な重厚感と捉えられるのであれば、本機を心からススメられる。しかし、様々なプロダクトを知る事で、自ずと不満点は露になるものだ。9Sムーブメントに関しても既に目新しさは感じられなくなった。これは各社が自社ムーブメントの開発にあたり、ロングPRや調速機構と脱進機の改良が普及したためだろう。しかし、こういった現在の環境下であっても、外装の質感は素晴らしい。日本刀のように歪みがなく稜線を残す鏡面仕上げを如何にして形にするか。これを最も望ましい状態で実現したものがザラツ研磨という工程であり、GSの象徴ともなるパッケージである。

実用時計というのは精度のみに起因するものではない。ダイヤルのデザイン、外装の仕上げ、ブレスの質感、重量バランス、すべてが相まって実用性というパッケージングが成立するかである。パッケージングというのは恐ろしく深い世界であり、この本質を理解できる人間がメーカーには必要である。GSのプロダクトは多様に発展しているが、これを本当に理解している人間が求められるように感じる。

語れる時計とパッケージングについて

f:id:saw_ch:20191107215918j:image

IKEPOD officialより出典

最近気になる時計がある。

そう、アイクポッドである。私は当時のアイクポッドが過去にどれだけのプロダクトを世に出し、時計界にどれ程の影響を及ぼしたのか知らない。もちろん、アイクポッドというブランドは知っていたし、どのような時計なのかは、ある程度認識していた。しかし、ここにきて何故かこの時計に惹かれるのである。もちろん、時計としての完成度はプライス以上の高い水準であり、プロダクト的に完成されている訳だが、それ以上にうちに秘めた魅力が購買意欲を掻き立てるのである。

f:id:saw_ch:20191107231230j:image

左)ジュールオーデマ  中央)オーバーシーズ 右)グランドセイコー  

私のこれまでの時計遍歴というのは、殆どがプロダクトクオリティ重視であり、それというのはメーカーの伝統や技術力はあまり考慮していない。一プロダクトとして、その製品の品質や魅力に惹かれるか、それだけである。対して、アイクポッドは私にとってこれらの対極に位置する。アイクポッドの魅力はクオリティ的要素というよりは、むしろそれ以外の要素が大きいということだ。では、『それ以外の要素』とは、何なのだろう。

いい時計と言われる最大の要素とは何か。このQに対して多くの時計ジャーナリストは『優れたパッケージング』と答える。パッケージングとはなかなか聴きなれないワードであり、実際に時計を手にして、その時計のパッケージングを瞬時に読み解くことは難しい。パッケージングを読み解くには、そのメーカーの歴史や伝統、時計のプロダクトコンセプトなどの見識が必要になる。これは決して簡単な話ではない。そして、時計のパッケージングが明快になった時、様々な知見からその時計に与えられたデザインの意図が読み取れる。優れたパッケージングを持つ時計は、細部に至る細かなディテールがすべて一貫されたコンセプトに基づき、それらが完璧なバランスで調和され仕上げられる。

ここでアイクポッドの話に立ち返る。アイクポッドは私が時計に抱くこれまでの見識とは異なるカテゴリーであるが、コンセプトが一貫しておりパッケージングが明確である。絶妙なのはプライス的な制約の中で、オリジナルを忠実に再現している点である。そして、U10万でこれ程までに語り甲斐のある時計が他にあるだろうか。そして、気づいたのである。時計収集とは自己満足の世界でしかないのだが、その中でも"語れる時計"こそが最もサティスファクションを高める中枢だろう。さて、意を決してアイクポッドに清水ダイブか...。もう少し動向を見たい所ではあるが、この物欲を抑え切れるのは時間の問題か...。