ここ数年のムーブメント革新について

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近年著しいムーブメントの改新は、メーカーや独立時計師からすれば歓迎であり、消費者にとってもその恩恵は大きい。私が時計界隈に関心を持ち始めたのは5年程前であり、当時は時計の選択肢が限定的であった。具体的にいうと、各メーカーから多様なプロダクトが混在する中で、ムーブメントは類似しているという状態である。当時のマスプロダクトは水平分業型が主であり、各社がETA2020年問題を抱える中で自社ムーブ開発に注力していた時期であった。当時でいえば、ロレックスの31系やJLCの899系と822が群を抜いており、オメガはコーアクシャル1世代機、タグホイヤーはcal.1887とcal.5(ETA)、ブライトリングはB01とETAやValjouxといった要はエタブリスール全盛期である。先述したコーアクシャルやcal.1887は新設計されたキャリバーではなく、ベースありきの改良ムーブメントである。プロダクトのマーケティングは"自社ムーブメント搭載"が謳い文句で、消費者はこれに対して懐疑的な情態であり、つまりは何が自社ムーブであるかその定義自体が曖昧であった。

様々なプロダクトが生産される中で、ムーブが同一であることはあまりにも不服である。各社が共通して使用していたエボーシュは主にETA28系(自動巻センセコ)やUnitas64系(懐中スモセコ)、Valjoux7750(自動巻クロノ)であった。メーカーはエボーシュの外観に独自性を持たせるため、ブリッジの形状や仕上げに変化を与えた。ブリッジの新造はCNCや穴石を正確に打ち込む設備があれば可能であり、ムーブメントの審美性を高める手法としては最も手っ取り早い。通例はティソやエポスのスケルトンダイヤル、ドイツメーカーの3/4プレート化といったところだろう。IWCポルトギーゼはValjoux7750のインダイヤルを偏心させたいわばエボーシュであるが、こういった試みもまた一つである。しかし、ブリッジの新造やスケルトナイズは審美性の向上に留まり、ムーブメントの本質的な改善には当然効果はなく、マニアからして見れば、あからさまなエボーシュ搭載機に気が滅入る気持ちもまたわかる。ただ、少なくともエボーシュをベースとした長時間PR改良ムーブや緩急針をトリオビスやスワンネックにモディファイしていたメーカーはあった。こういった状況下で脱進機やテンプ周りに改良を加える硬派なメーカーは然程なく、まずは見てくれ第一といったプロダクトが殆どであったことは確かである。

しかし、ここ数年ムーブメントの開発や革新が相次ぐことで、メーカーの思想や思惑がより具現化された時計群が増えてきた。時計市場全体が活性化された気がするし、とにかく私としては非常に面白い状態が続いている訳である。マニア受けするかは別として、脱進機改良の後押しとなった要因は間違いなくシリコンなどの全く新しいマテリアルが開発されたからであり、これの副産物として結果的にテンプのフリースプラング化(シリコンひげは緩急針との接触で割れるため)が普及するなど、1世代前では考えられないほどムーブメントの基礎設計が一新された。特にミドルレンジ帯ですらフリースプラングの採用が一般的となった現状では、数年前と比べ、明らかに技術革新が感じられる。

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各社HPより出典

シリコンのパテントはスウォッチであり、巨大コングロマリットの資金力と開発力は絶大だ。ここ数年ではブレゲのマグネティックピボットやオメガの第3世代コーアクシャルなどのプロダクトはマニアを沸かせたし、機械式時計の改心には発展の残余があることも感じられた。LVMHではタグホイヤーでカーボンを組成とした新しいひげゼンマイが開発されるなど、近年はマテリアルの開発競争が激しい(カーボンひげゼンマイが搭載されたオータヴィアはアッサリと製造中止されたがどうなったのだろう)。リシュモンではカルティエ率いるエボーシュ傘下のヴァルフルリエがコングロマリット内のベースムーブを供給する。ボーム&メルシェやパネライはこれをうまくモディファイしているし、当然の如くフリースプラングである。高級エボーシュになるとサンドファミリー財団率いるヴォーシェマニュファクチュールが筆頭だろう。VMF5400(マイクロスモセコ輪列)やVMF3000(小径自動巻)をベースとし、ムーンフェイズなどのモジュールからトゥールビヨンまで多様なムーブメントを自製する。特にVMF5400は独立系が好んでエボーシュに採用するなど、エボーシュメーカーとしての実績はすでに輝かしいものである(やはり浜口氏の存在が大きいか...)。

ここ数年で各社がこれ程までにムーブメントの開発に注力したのもETA問題が引き金であり、結果としてこのような環境を構築したのはスウォッチGのCEOであるニック・ハイエックの功績か。まぁ、目新しさには一切の興味を示さない私としては、シリコン脱進機などアウトオブ眼中なんだけどね。ただ、最近のコーアクシャル脱進機はかなり成熟した印象を受けるし、物としての魅力が最近わかってきたから、気になってはいるけどどれも高いね。