機械式時計における精度の重要性

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cosc.swiss 出典

機械式時計に精度を求める事はナンセンスな事だろうか。現代ではクォーツで十分な精度は期待できるし、ましてやスマホであれば電波時計と同等の精度であり、日常生活においては十分過ぎる程だろう。では、現代の機械式時計における精度のアドバンテージは如何程だろうか。

以前の私であれば機械式時計は審美性こそ至高であると想っていた。もちろん、先述に関しては決して間違いではないだろうし、やはり美しいケースやムーブメントを見ると、これこそ機械式時計の真髄であり、現代の精密工作技術と職人技が上手く昇華された形の一つだと感じる。しかし、機械式時計であっても時間を計測するツールであることに変わりなく、"美観を持ち合わせていたとしても精度の追求を欠くことはできない"と最近想えるようになった。新来者が陥りやすい固定観念として、実用精度はスマホ時間で割り切り、機械式時計に求める核は審美性といった見解だ。しかし、機械式時計において精度と審美性は異なったベクトルであり、両者のバランスが絶妙に保たれていることが理想だろう。つまり、一方が卓越した水準に達していても、もう一方が欠如していては台無しだというのが私の見解である。

ここで記す"精度"とは、アッセンブリー後の静態精度ではなく、設計段階における精度への配慮である。つまり、評価すべきは日常生活における精度への信頼性ではなく、各メーカーがムーブメントを設計するに当たって高精度を実現させようというポリシーとロジカルな設計である(結果として高精度でなければならないことは言わずもがなだが)。例とするならば、オメガのコーアクシャル脱進機やロレックスのクロナジーエスケープメントの類だろう。こういったムーブメントは一括りに賛美性の観点で評価できず、メーカーが純粋に精度を追求した産物であり、こういった試みに感受することで市場に出回った様々なムーブメントを再評価できる。

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ジュールオーデマがコレクションに加わったというのは私にとって一つのターニングポイントである。機械式時計における審美性の観点において、オーデマピゲの伝統的なスタイルの継承とJLC史上最高傑作であるcal.920入りをもって一つの待望を達成した心情であり、以降の価値指標を担う存在でもある。伴って、今後はさらなる沼に足を踏み入れるも良しだが、別の方向性でコレクションを拡充させることも一手だと感じたことが、このエントリを書するに至った根底である。