自動巻で最も審美的なムーブメント 《cal920》

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Cal920、これこそ薄型ムーブメントの極致だ。

昨今、様々な薄型ムーブメントが開発されているが、このムーブメントも薄型界の巨匠と言えるだろう。

今回はこの【cal920】にスポットして記事にしたい。

まず、cal920とはJLCで開発された当時のキャリバーナンバーだ。このcal920の製造権利はAPに移行されたため、現在ではAPで生産が行われている。供給は、PP、AP、VCの三社でそれぞれPP 28-255C 、AP 2120 、VC 1120とキャリバーナンバーが変更されている。

2.45mmという驚異的な薄さを誇るcal920が1967年開発というのだから驚きを隠せない。今もなお、ムーブメントの基本構造は変わっておらず、生まれながらにしてこのムーブメントの完成度が高かったことを思い知らされる。

通常のムーブメントの構造では成し得ら事ができないほどの驚異的な薄さ、これを実現するためになされた新進気鋭な設計をご紹介したい。

  1. センターにセットされた二番車とローター
  2. 自動巻機構のレイアウト
  3. 5点支持のローター
  4. ブリッジのみで支持された香箱
  5. 緩急針を持たないフリースプラング

これらを順をとって解説したい。

 

1.センターにセットされた二番車とローター

これは直接的に薄型に貢献している設計ではない。むしろ、薄型にするのであれば、二番車はセンターからオフセットし、ローターもマイクロローターかペリフェラルローターにするべきだろう。

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二番車をセンターに配置する最大の要因は、時刻合わせ時の針飛び対策のためだろう。通常の薄型ムーブメントは、主輪列を出来るだけ狭く収まることで、空いたスペースを有効に活用する配置がよく見られる。例えばマイクロローターを配置したり。つまり、二番車をムーブメントの中央にセットすることはスペースの邪魔になり、それだけ設計の制約がかかる。しかし、二番車をオフセットすることで、時分針を取り付けるカナまでの仲介車を要することになる。これが針度の原因になるため、このムーブメントでは針飛び抑制のため二番車を中央にセットする複雑な取り回しが強いられた。しかし、二番車を中央にセットする恩恵はでかく、時刻調整は非常にスムーズに行うことが出来る。リューズの操作感はその繊細な外観とは裏腹に確かな手応えがあり、非常に心地が良い。

では、ローターをセンターに配置する意図はなんだろう。おそらくこれは巻き上げ効率を高めるためだろう。マイクロローターやペリフェラルローターに比べ、比重を重くできるセンターローターは持続的に高効率に巻き上げが可能だ。

以上がポイント①だが、これらは薄型化を図るための施策ではなく、あくまで実用面を向上するための計らいだ。薄型化のみを考慮するのであれば二番車をオフセンターに配置し、ローターはマイクロローターといったように...だが、このムーブメントは非常に手堅く設計されていることがわかる。

2.自動巻機構のレイアウト

これは先ほどの話に通ずる部分がある。結論から先にいうと、自動巻機構の設計が素晴らしいということだ。

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cal920の地板 全ての輪列が地板と受けに収まるため非常に複雑な構造となっている。

このムーブメントでは二番車がセンターに配置されており、主輪列でかなりのスペースを要する。伴って、スペースを圧迫されるのは自動巻機構だ。しかし、この小スペースにスイッチングロッカー(自動巻機構)を収めたことは非常に素晴らしい。通常、小スペースで最大限の巻き上げ効率を期待するのであればリバーサーだろう。あえてスイッチングロッカーを採用したあたり、並々ならぬこだわりが詰まっているのだろう。また、これら巻き上げ機構が主輪列と同じレイヤーに配置されているのだから、本当に素晴らしいの一言だ。他社の主要な自社ムーブメントを見てみるといい。主輪列を支える受けの上にさらに自動巻機構が配置され、まるでモジュールのように設計されているムーブメントも少なくないだろう。

3.5点支持のローター

このムーブメントは二番車を中央に配置することで、様々な弊害を伴っている。ローターもそれだ。通常、二番車をセンターに配置すると、その上に輪列を支える受けが覆い、さらにその上にローターの支持物がくる。つまり、中央にパーツが集中することで必然的に厚みが増してしまうのだ。薄型ムーブメントの多くがオフセンターセコンドに配置するのはこの為だ。

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しかし、このムーブメントはセンターに置かれた二番車の軸がローターの支持物を兼ねることで薄型化を実現している。さらに、ローターに取り付けられたレールウエイトがムーブメントの外周で支持される。レールウエイトに接する箇所には4箇所のルビーベアリングが配置される。

つまり、ローターのセンター軸と外周に取り付けられたレールウエイトの下に配置された4箇所のルビーベアリング、計5箇所で支持されているのだ。この設計は非常に合理的だ。むしろ、センターのみ支持されている(ボールベアリングは設置されていようと)ローターより、全ての自動巻ムーブメントがレールウエイトを取り付け全体で負荷を軽減したほうが良いのではと思う。反面、ムーブメントに取り付けられたルビーベアリングと、レールウエイトとのアガキは繊細を極める。やはり、ある程度限られたムーブメントでなければ、採用は難しいのだろうと感じた。このムーブメントではルビーベアリングの受けにまで入念に面取りが成されている。全てのパーツが入念に仕上げられていることが実感できるだろう。

4.ブリッジのみで支えられた香箱

さて、ブリッジ(受け)のみで支えられた香箱とは、なんだろう。通常は香箱も輪列と同様に、地板と受けに支えられて配置されている、当たり前の話だ。

しかし、このムーブメントは少し違う。下の画像の香箱付近に注目してほしい。

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cal920の展開図。香箱が配置される箇所の地板は切り抜かれている。       インターネットより引用

これでお分りいただけただろうが、香箱が配置されている箇所の地板は切り抜かれており、ブリッジのみで香箱が支えられている。つまり、通常は香箱をブリッジで挟み込むが、これでは薄型化が図れないため、ブリッジに対して香箱と角穴車が挟み込んでいる設計になっている。

耐久性が不安になるが、香箱を支える穴石にはルビーよりも硬度が高いサファイアが取り付けられているらしい。本当に素晴らしい設計だ。

5.緩急針を持たないフリースプラング

これはもう言わずもがなだが、このムーブメントではジャイロマックスタンプが搭載されている。

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チラネジと原理は同じく、こちらはC型の偏心錘が設置され、これを回転することで慣性モーメントを変え調速を行う装置だ。チラネジに比べ調整が容易で空気抵抗も少ないため等時性が高い。調整幅が少ないため、テンワの高い工作精度が求められる。まさに高級機にふさわしい装置だ。

 

総評

以上がcal920に施された優れた設計ポイントだ。これが1967年に製造され、今も尚、構造が変わらずに生産がされているのだから本当に素晴らしいムーブメントだろう。なお、ムーブメントの径が28mmと大型だが、2.45mmの薄さを誇るこのムーブメントは、現在コンプリケーションの基幹ムーブとしても採用されている。AP自身も、『コンプリケーションが開発される限りはcal2120(JLC920)は生産され続けるだろう』と言っているように、まだまだ時計史の歴史に刻まれ続けるムーブメントになるだろう。

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