ヒコ・みずのジュエリーカレッジ卒業製作ウォッチ

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専門学校ヒコ・みずのジュエリーカレッジといえば、ウォッチコースがある事は時計好きであれば皆が周知の事だろう。本日は、ヒコみず卒業制作展にて展示されていた時計についてのエントリ。

まず、当作品の製作者である関に關氏についてであるが、ヒコ・みずのウォッチコース3年を修了後、研究生として1年間の時計製作にあたる。製作については校内にある作業設備の他、アルバイト先である時計店の協力もあり1年という短期間で卒業制製作を完成させた。

さて、完成品であるが作品名は《球体月齢表示 懐中時計》。作名のとおり、6時位置にある球体が回転する事で月齢を表示する3Dムーンフェイズが特徴的である。全体的なアピアランスは時・分・秒が全て独立されたレギュレーター式であり、その他にデイデイトとムーンフェイズが備わっている。ダイヤルにはギョーシェが施されており、針は全て青焼きによるブルースチールである。

まず、前提として彼の製作した時計にはCNC(数値制御)を用いた加工工程が存在しない。これは、CNCの設備環境が整っていなかったためであるが、結果として部品の新造は古典的な手動フライス盤やカム式自動旋盤を用い、最終的には手作業による仕上げと、まさに40〜50年代を彷彿させる伝統的な時計作りである。この前提を踏まえ、1年間という短期間でこれ程までの仕上がりは本当に素晴らしい事である。

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背面はグラスバックであり、搭載されるムーブメントを確認できる。ムーブメントのベースはETA7750である。巨大な球体である月齢機構を回転させるため、クロノグラフに搭載されるトルクの大きい7750が適していたとのこと。歯車や主ゼンマイは7750をベースとしているが、地板やブリッジは全て新造のため、輪列に関しても7750とは乖離している。そのため、殆どがオリジナルの設計である。

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テンプを拡大化させたいという製作者のポリシーにより振動数を8→6振動化されている。脱進機は既存の6振動ムーブから転用、テンプに関しては新造である。バランスコックはフライス盤による切削の後、手作業による整形と面取りを行い上面には彫金が施されている。彫金に関しては、製作者の知人である彫金師によるもの。アングルやガンギを支える単独のブリッジにも彫金が施されていることがわかる。

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角穴と丸穴まわり。角穴の円筒に打ち抜かれた端部は仄かに面取りが施されていて美しい。そして、巻き戻りを防止するコハゼも特殊な形状であり、コハゼ上部の長い板バネにより巻き戻りを規制している。これら主輪列を支える湾曲した大きな受けは、手動フライスによる曲線加工が困難なため、グラインダーで荒削りを行った後、手作業によりヤスリで整形しているのとこと。なんとも豪快な作業工程ではあるが、設計した形状を忠実に実現させるポリシーには感銘を受ける。

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本作品のキモである月齢とデイデイト機構である。月齢表示の球体はチタン製。一度真鍮で製作したが、切り替わり動作に不安を覚えたため、比重の軽いチタンに改めたそうだ。球体の青い箇所は熱処理(青焼き)によるものではなく、陽極酸化処理を施した酸化皮膜によるものである。ベースのチタン金メッキの球体に、別体の酸化処理を施した青パーツを対になるよう2つ配置し、これを59日で一周させるという仕様である。切り替えはクイックチェンジであるため、トルク設計は相当苦労したことだろう。4時位置と8時位置にはデイデイト表示が備わっている。デイト機構はディスク式ではなく、垂直に回転するドラム式のため、垂直軸に配置された機構がグラスバックから確認できる。

主輪列は全て上部(12時位置側)に集約されており、多層レイヤーに日付と月齢機構が複雑に重なり合う設計である。日付と月齢はすべて2番車の動力からバイパスされており、各輪列ともに仲介車を経て垂直軸に整流されている。巨大な月齢球体が6時位置に鎮座しているため、これを支障することなく配置された輪列設計は秀逸である。また、竜頭操作による日付の切り替えは、竜頭付近にスイッチングロッカーのようなシーソー型の整流装置があり、竜頭の回転方向によりそれぞれ月・日付の切り替えを単独で行うことができる。

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ダイヤルはシルバー材を旋盤によりギョーシェを施した後、白仕上げを行なっている。レギュレーターや日付のフレームは真鍮を削り出し、金メッキが施されたものだ。インダイヤルはメインダイヤルとは別体であるが、各パーツのチリ合わせも綿密であり違和感は皆無である。月齢のフレームは青焼きネジで固定され、面取りが施されていることを確認できる。針に関しても、熱処理が加えられブルースチールの発色が美しい。アローハンドとも思える針の形状はフライスによる繊細な加工が困難なため、手作業による整形である。そして、袴を強烈に意識させる立体的な造形は、球体をかわすように取り付けられたために生じたダイヤルとの高低差を視覚的にうまく緩和している。

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これらを格納するケースは真鍮に金メッキを施している。ムーブメントやダイヤルなどの真鍮にはすべて同様に金メッキが施されているため、全体的なアピアランスは非常に統一感がある。球体型の月齢を格納したムーブメントも相まってそれなりに厚みはあるが、ケース径は収まりが良く、ポケットウォッチとしてはこれはこれでバランスが良く思える。

どうだろうか。これを1年で製作した関氏は現在22歳。今後はアルバイト先である時計店に就職し、修理技師として職に就く。就職先では時計の製作環境が整っているため、今後も継続して時計製作は行なっていくとのことなので、今後の活躍に要注目である。実は關氏とはヒコみず入学以前から面識があったが、数年の教養と経験でこれほど素晴らしい時計を製作するまでになるとは思ってもいなかった。まさに、人生の可能性を感じることができる、そんな時計であった。

製作者のプロフィールを引用

關 宇譽護(Norifumi Seki) (@safasok) | Twitter