《2020年新作》ローランフェリエ

画像はすべて laurentferrier.ch より出典

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昨今、新型肺炎による影響は莫大である。時計業界においては毎年3月出展予定であったバーゼルワールドを中止。その後、バーゼルワールド主催者側であるMCHグループの冷淡な対応が引き金となり、主要ブランドが撤退する事態になった。バーゼルワールドの存続が危ぶまれる中、旧SIHHはデジタルプラットフォームであるWatches&Wondersでの新作発表となった。当エントリであるローランフェリエも2020年新作時計はWatches&Wondersにて発表された。

さて、2020年新作のトピックも例年通りやはりラグスポ群であり、ランゲからWGオデュッセウスが発表される中、ローランフェリエからもまた新作ラグスポが発表された。ローランフェリエといえば、長年パテックのプロダクトディレクション部門に在籍し、様々なモデルを手掛けたことで知られいる。そんな同氏のプライベートブランドでもパテック時代を強く思わせるクラシシズムを体現させたプロダクションが従来であった。しかし、意外にもローランフェリエはアバンギャルドな意匠が好みであり、本作は同士の願望が具現化されたプロダクトのようにも思える。同社初となるステンレススティールのケースと一体型ブレスレットを備えたスポーティウォッチが本作である。

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全体的なプロポーションは同社のクラシカルラインであるガレ・スクエアに似ているが、本作ではベゼルがより強調されダイヤルデザインは今までにないディテールを持つ。特にベゼルは立体的な3次曲線を描く複雑な形状である。この絶妙なラインに歪みが生じると美しい光沢感が損なわれ、一気にプロポーションが崩れるがそんな不安感も感じさせない仕上げレベルである。針はスポーティウォッチらしい夜光付きの太針だが、完全にポリッシュされた袴は立体的に整形されており、どこかクラシシズムを感じさせるディテールを残す。6時位置にスモールセコンドを備えており、このインダイヤルを支障させぬようインデックスのサイズ感を調整している点も抜かりなさを感じる。セコンドハンドも他針同様に完璧なポリッシュであり、立て付け高さはダイヤルギリギリまで詰めている。結果的にミニッツハンドとアワーハンドもダイヤルから絶妙な立て付け高さが保たれ、高級時計らしい完璧な造形である。

ケース一体型のブレスはバックルにかけてテーパードされた3連ブレスであり、角部は仄かに面取りが施されている。ヘッドとブレスの重量バランスは保たれているだろうし、ブレス可動域も十分だろうから試着せずとも装着感は良好だと確信できる。だが、是非とも一度はこの装着性を味わってみたいものである。

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グランスポーツトゥールビヨンとモデル名から分かるよう、本機に搭載されるムーブメントはトゥールビヨンである。搭載されるキャリバーはLF 619.01であり、これはローランフェリエの初作であるトゥールビヨン・ダブルスパイラルと同様である。ブリッジは複数に分割されており、その意匠は現代的であるが各部レイアウトに統一感が感じられ個人的には好みである。ムーブメントの面取りは手仕上げ独特の曲線を持ち、画像からも確認できるほど美しく磨き上げられている。ホイールトレインのスポーク面取りや穴石やネジ回りの面取り、ネジ頭のポリッシュなど、このレンジであれば当たり前だろうが、どこを見ても完璧なレベルである。全体に仕上げられたブリッジのヘアラインは繊細故に画像では判断しかねるが、淡い光沢感がその仕上がりレベルを窺わせる。

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画像は本作ではなくベースキャリバーであるが、同様の脱進機である。前述したよう、本作はトゥールビヨンであるが、ダブルヘアスプリングであり、二つのヘアスプリングが対に取り付けられている。ひげ持ちが対称に配置されていることが画像でも確認できるだろう。ヘアスプリングの一方が外に広がる時に他方は内側に縮むダブルヘアスプリングは、より同心円状に近い振動をテンプに与えることで姿勢差誤差を補正する。これらをキャリッジに収めトゥールビヨン化することで姿勢差をさらに均一化させる。そして、キャリッジのカナを通し、日の裏側ではセコンドバンドが稼働する。敢えてダイヤルからキャリッジを伏せる試みがローランフェリエの粋である。

本作のようなスポーティウォッチは実用性を追求させる必要があり、その表れがキャリッジは魅せるものではなく常に実用的であるべきだという事を訴えかける、そんなパッケージングである。スポーティウォッチなためハンドワインドであることは意外だが、技術的な制約か...。個人的にはリザーブだけでも付加的に備えたいものだが、付加機構を備えるだけでも設計を一新させる必要性がでてくるものだ。ただ、そんな小言を逸するほど魅力的な時計である。

ラグジュアリースポーツウォッチの今後について

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思惟の余地があるかは分からないが、最近想いを書き連ねる。今後の業界動向を含めた考察である。以降は個人的な見解であるため、あしからず。

時計業界の流行にはファッション業界のような極端なトレンド要素がなく、潮流を推察することは難しいが、業界の牽引力で言えばやはり三大の影響力は大きいだろう。伝統と実績を積み上げた老舗メーカーはどこも硬派であるが、その中でもAPはアバンギャルドであり、まさに現代のトレンドメーカーであると感じる。対してパテックやVCに関しても、あからさまではないにしろ、時代を牽引していく使命感のような目論見は感じられる。

さて、業界のトレンドはまさにラグスポウォッチ全盛。これは軽快なライフスタイルを好む現代人の傾向が、ウォッチメーカーの提案とマッチした結果だろう。伴ってプロダクトは金無垢のハイエンドウォッチからSSやハイテク素材を使用したコンフォートブルな時計が売れる時代になった。各メーカーから提案された現行のプロダクトを照らし合わせることで現代の潮流はなんとなく感じ取れるが、長期的なトレンドを推測することはできないだろう。そこで、各メーカーが開発した基幹ムーブメントに着眼することで、長期的なトレンドを見据えることができると考えた。基幹ムーブメントの開発コストは莫大であるため、各メーカーが予期するビジョンの指標となる。これが私の考察である。

やはりキーとなるのは、三大メーカーのアイコニックピースであるスポーツウォッチ群、これらを元に話を展開したい。ラグスポウォッチの先駆けはご存知の通りAPのロイヤルオークであり、その出自は様々なシチュエーションに対応できる汎用性を兼ね備えたパッケージングを持つ。ローンチ時期は違えど、ノーチラスや222の出自もロイヤルオークと同様である。搭載するムーブは3社ともにJLC920であったため、オリジナルピースのケース厚は全て7mm台であり、自動巻としては極薄の部類である。

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audemarspiguet Instagramより出典

ロイヤルオークの代表作を時系列順に整理すると、ref.5402(オリジナル)→ref.4100→ref.14790となり、ここまではどれもJLCのベースムーブ搭載機である。主な変更点はケースサイズであり、時代の潮流にそぐわなかったjambo(39mm)からサイズダウンを図った流れである。大きな転換点は2005年初出のref.15300だろう。ようやくAPは自動巻の基幹ムーブメントを開発し、これをロイヤルオーク(ref.15300)に与えた。ケースサイズは39mm×9.4mmとオリジナルとまでは行かないが、十分なプロポーションを保っている。しかし、この背後でオリジナルを忠実に復刻したref.15202が発表され、次世代ROはこれに対して差別化を求められたことは容易に想像できる。こうした時代背景から世に出たモデルが2012年初出のref.15400である。ケース径は先代から2mmアップの41mmとなり、伴ってケース厚も若干厚みを増しブレスレットも重厚になった。しかし、搭載するムーブメントは相変わらずcal.3120であるため、全体的なプロポーションに間延び感が感じらた。これを改善すべく、APは次世代型の基幹ムーブメントであるcal.4302を開発、2019年初出であるref.15500に搭載したのが昨年のことである。これがロイヤルオークの出自から現在までである。

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オーバーシーズにも少し触れておく。オーバーシーズの名を冠したモデルが世に出されたのは90年代だが、これの前進となった222の初出は後発ではあったが、他メーカー同様1970年代である。前述したが、222の出自はRO同様であり、プロダクトを見ても間違いなくインフォーマルウォッチそのものである。その後、96年にオーバーシーズ1stであるref.42042が発表。搭載ムーブはGP製であった。続く04年にref.47040(2nd)が発表されるが、ムーブはやはり他社製でありJLC899である。転換期は16年初出のref.4500V(3rd)であり、これを機に自社製ムーブであるcal.5100が開発され、オーバーシーズの基幹ムーブとなった。

長らく出自の話になったが、ここでの論点はケースとムーブの適合性である。かつてはケースに独自性を与えるべく、搭載されるムーブメントは小径薄型が好まれた。70年代はこの傾向を顕著に感じとれる独特なケースディテールを持つ時計が多数ある。ラグスポ群のオリジナルピースに関しては、やはりJLC920の存在が大きく、これ無くしては成り得ないディテールを持つ。変化が訪れたのは90〜2000年台初頭、パネライを筆頭としたデカ厚ブームがトレンドとなり、多くのプロダクトがこの潮流に追従するようになった。ラグスポ群も例外ではなく、この頃から時計のケース径は40mm超えが標準となった。すると、かつてのJLC920のような繊細な極薄ムーブである必要はなくなり、より実用的なムーブメントを求めるようになった。APで言えばcal.3120になるし、VCは前述したGPやJLCになる。年月が経つにつれ、業界ではETA2020問題が懸念され、各社では自社ムーブメントの開発が加速した。こうして発表されたムーブメントはどれもハイスペックであり、以前までの繊細な小径ムーブでは太刀打ちできなくなった。こうした中で開発された三大の次世代基幹ムーブメントがAPcal.4302とVCcal.5100である。双方ともにロングパワーリザーブ化とストロングトルクで高い等時性を確保する設計だが、相対的にムーブは堅牢になり厚みも増した。そのため、次世代ムーブを格納するケースは徐々に肥大化していき、結果として現行ROとOSのケース厚は10mmを超えるようになった。

ラグスポ群の出自はどれもインフォーマルウォッチである。スポーツとドレス、この対局した双方に適する絶妙なプロポーションこそ故ジェラルドジェンタの思想である。しかし、現行のプロポーションは既にこの思想から乖離しているように感じる。現行モデルに対しての良否を判定するものではないが、これが時代の流れである。ラグスポウォッチの定石である薄型時計を掲げるならば、やはり10mmを下回ることが望ましい。そして、設計陣の中でも当然このボーダーは意識していることだろう。薄さとスペックのせめぎ合い、現代においては定石をエラーしてでもスペックを優先すべきというのがプロダクション側の見解なのだろう。その中でも、最も硬派であるのはパテックであり、ノーチラスのパッケージングは揺るぎない。現代においてもそのプロポーションは完全に保たれている。コレばかりはブランドの思想によるものが大きいが、やはりパテックは偉大である。

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さて、問題はラグスポ群の今後である。冒頭で述べたように、ムーブメントの開発コストは莫大であり、新作モデルの発表ごとにムーブメントを一新するわけには行かないだろう。1モデル1ムーブメントのような変態メーカー(アーノルド&サン)もあるが、ごくごく少数である。そのため、新開発されたムーブメントはメーカーにとってのビジョンである。そして、私の見解であるがAPcal.4302はROではなくCODE11.59に最適化されたムーブメントのように感じる。ミドルケース側面に表情を持たせ、厚みを巧みに処理する造形が何よりである。対してROは今後の発展が苦しい。14リーニュを要するcal.4302は高いポテンシャルを持つが、ケースの自由度を拘束する。そして、ベゼルをビスで固定するROの構造はムーブ容積を広く確保できない。こうした中で、ケースの発展が見込みづらいROの先行きはどうなるのだろうか。個人的には5402stオリジナルの太いベゼルを再現させるため、ケース径を数ミリ拡大さてでも相対的なケースディテールを保つ、こんな風に発展が向かうと面白く感じる。初代のプロポーションを保つには、ケースの肥大化が止むを得ずである。とすると、やはりcal.3120の方が使い勝手が良いのである。うーん、やはりパッケージングとは恐ろしく深い世界である...。

《続》グランドセイコー60th記念モデルについて

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GS HPより出典

前編→グランドセイコー60th記念モデルについて - About Watch Diary

前編では、ほぼ全てが9SA5関連であった為、当エントリでは外装諸々について。

本作はグランドセイコー60th記念ヘリテージモデルであり、同社にとって特別なモデル位置づけである。そのため、開発陣がインラインとの差別化を図ろうと意識したことは確かだろう。外装のアピアランスはそのバイアスが顕著に現れており、結果としてこのようなディテールが与えられたのだろう。デザインの良し悪しは、あくまで主観による判断であるため、非難覚悟で率直に記す。ちなみに、サンプルを銀座ブティックにて確認済みであり、凡そのディティールは既知である。

まずはダイヤル。サンレイが施されたシルバーダイヤルは特に特別な印象を抱くことなく既視感だけが残る。6時位置のレターにはSDマークが印字されており、ヘリテージコレクションであることを観取する。ちなみにSDダイヤルは植字マテリアルが金無垢であることを示す。インデックスはかなり肥大した印象を受ける。インデックスのセンターにはダイヤモンドカットによる溝が施されており、光源に晒すとこの溝がキラリと輝く。そのため、相変わらずインデックスの輝きばかりが印象に残り、繊細な仕上げまでには目に止まりづらい。インデックスの肥大化に関しては、パッケージングによる方向性の表れと割り切れるかであるが、そろそろダイヤモンドカットごてごてのインデックスは再考する次期だと感じてしまう。針はGSらしい5面カットを施す立体的な造形である。スリーハンドをそれぞれ適正な位置まで届かせるのが従来のアイデンティティであったが、今作に至ってはアワーハンドにインデックスと同様なディテールを与えたため、それが伝承されていない。インデックスのバランスに合わせるならばこのようなアワーハンドになるのは最もであるが、スリーハンドのバランスの違和感だけが、ただただ心残りである。

外装はいたってGSらしい造形である。納得できなかったポイントはベゼルである。ディティールは平面的であり、表面はヘアライン仕上げ、側面の傾斜部にポリッシュ仕上げが施される。例えるならばロイヤルオークのベゼル。よって、視覚的に高低差を強く感じ、薄型にリファインされたムーブとの相性とは乖離した印象を受ける。さらに、合わされる風防はボックス形状であるため、ベゼルより一段上がった風防が、より高低差が激しく感じさせる。結果的にダイヤルのクリアランスが大きくなり、見返しを低く抑える高級時計の定石からは逸脱している。いい加減ここは改善するべき。

さて、本作は100本限定で450万。値段についての議論は無意味のように感じるが、世間の評価がどれ程であるかは気になるところ。脱進機で言えば、APのかのAP脱進機は数千マン、かたやオメガのコーアクシャルは100万アンダーである。ここでセイコーの新型脱進機がどの立ち位置になるかは興味深いが、これに関しては時間が解決してくれるだろう。しかし、今作の発表で業界内では少なくとも国産企業としての頭角を現したし、今後の展開がとても面白くなりそうである。

グランドセイコー60th記念モデルについて

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GS HPより出典

さて、時計愛好家として新しいGSの製品群に対する評価は義務感のように感じたので、後発ではあるが書き残したい。

今回リリースされた中で、特に注目されたグランドセイコー60th記念SLGH002は愛好家を魅了したプロダクトだろう。何と言っても新開発ムーブであるcal.9SA5については議論の価値があると感じた次第である。

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GS HPより出典

全貌が明かされた今作の9SA5ムーブメントは現代的にブラッシュアップされたアピアランスをもつ。以前までの9S65系とは異なり、主輪列と自動巻機構をすべて同一レイヤーに収めることで薄型化を果たし、結果として審美性も格段良質なものになった。バランスコックや主輪列を覆うブリッジを両持ちで固定する設計は、ROLEXの32系やJLCの975を思わせる現代的なアプローチである。ブリッジの形状は稜線が多用されており、以前までのマスプロらしい直線的な形状から脱したことは称賛すべきであるが、旧来にあったGSの面影はまるで無い。ただ、セイコーのマイクロアーティスト工房手掛ける叡智やソヌリなどでは以前から面取りを際立たせるアプローチはあった為、これの延長のようにも思える。全体像としては各ブリッジ形状に統一感が感じられ非常にまとまり良く思えるが、特段惹かれるものではないのが個人的な印象である。

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GS HPより出典

さて、今回最も語られるべきはセイコー独自開発の脱進機である《デュアルインパルス脱進機》だろう。まず、デュアルインパルス脱進機であるが、直訳すると《2系統の衝撃》である。これはテンプ振動に要するトルクを2系統から伝達していることが所以である。通常のスイスレバー脱進機ではトルクの伝達がガンギからアンクルレバーを介してテンプに入力される間接衝撃(インダイレクト)である。対して、ダイレクトインパルス脱進機ではテンプ振り座に取り付けられた振り石でガンギからの衝撃を直接受ける。要約すると、インダイレクトでは〔ガンギ車→アルクルレバー→テンプ〕の伝達であるのに対し、ダイレクトでは〔ガンギ車→テンプ〕となる。テンプ振り座に取り付けられた2種類の振り石が、それぞれダイレクト用とインダイレクト用を担っている。これら2系統から伝達を受ける構造がデュアルインパルス脱進機である。ダイレクトインパルスのメリットとして、ガンギの回転トルクが直接伝達されるため、トルクロスが非常に少ない。このとき、ガンギと振り石の接触角度をは90°に調整されていることが理想的である。

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Gardner D. Hiscox より出典

アンクルの形状から、この脱進機はロビン脱進機からインスパイアされたものだと考えられる。ロビン脱進機はデテント脱進機の改良型である。止め石を1つしか持たないデテントはレバーをパッシングスプリングのみで保持しているため、外乱によりロックレバー(アンクル止め石)が解除されてしまう欠点を持つ。これに対し、ロビンでは止め石を2つ設けることで確実にガンギをロックするセーフティメカニズムを備える。言うなれば、ロビンはデテントとスイスレバーの複合である。

デテントのメリットとしてはテンプの拘束角が小さいことである。拘束角とはテンプに取り付けられた振り石がアンクルに接触してから蹴り切るまでの角度である。当然、拘束角は小さければ小さいほど摩擦損失が少なく、それだけテンプの自由振動を保持することができる。スイスレバーの拘束角が50°程であるのに対して、デテントは10°程であるため、その差は歴然である。また、アンクルの止め石とガンギの接触面が小さく、接触角も90°と垂直であるため摩擦抵抗が少ない。対して、デメリットは前述したとおり、外乱によってアンクルのロックレバーが解除されガンギが誤作動を起こすことだ。そのため、デテントは歴史的にみてもマリンクロノメーターなどの平置き時計に使用されているものが多い。スイスレバー脱進機のメリット・デメリットはデテントのほぼ相反である。そのため、ロビンに関してはこれらの中間に位置するものと考えて間違いではないだろう。

ただし、クロノスの記事に記されてあったソースによるとセイコー独自脱進機の拘束角はスイスレバーと同様であるとの事、これに関しては疑問に残る点であるが設計上の障害があったのだろう。対して、セイコーのアプローチとしてはMEMS成形で中抜きされたガンギとアンクルである。軽量化が図られているためトルクロスは抑えられているだろうし、この脱進機が10振動で駆動できる所為もここにあるだろう。

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GS HPより出典

長々と脱進機について書き連ねてしまったため、その他の要点を簡潔に挙げていく。先ずはセイコー初のフリースプラングが実現された点である。テンワの外輪に収まるよう配置されたミーンタイムスクリューは空気抵抗による配慮である。ミーンタイムスクリューの固定部にはスリットが入っており、ここをかしめることで緩み止めの役割を果たす。ひげゼンマイは自社で8万通りのシミュレーションから導き出された、俗に言うブレゲ巻き上げひげ。これによりテンプは同心円状の正確な振動を傍受する。テンプを支えるバランスブリッジには縦アガキを調整するナットが両端に取り付けられている。これはロレックスのキャリバーにも備わっている仕様である。80hロングパワーリザーブはツインバレルによるもの。マルチバレルはリザーブを伸ばす要因もあるが、今作においては独自脱進機の等時性を保つためのトルク増幅と安定性を狙ったものだと考える。

これらメカニズムを収めたムーブメントはとても明快なホイールトレインである。ツインバレルが大半のスペースを占めているが、主輪列をコンパクトに収めることで上手く集約させた印象である。オフセット輪列であることは止むを得ずであるが、やはり針飛びは懸念される。GSであるからには、ここは確実に詰めて欲しいところ。しかし、自動巻かつツインバレルを同一レイヤーに収めた9SA5の基本輪列は理想的であり、今後の基幹キャリバーにこれの基本設計を転用できればベストである。時代の潮流に取り残された旧来の9Sメカニカルキャリバーであったが、今作の発表に伴い今後の道筋が明らかになった、そんなところである。

続→《続》グランドセイコー60th記念モデルについて - About Watch Diary

《オリジナルウォッチ製作》ヒコ・みずの研究生

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前項→ヒコ・みずのジュエリーカレッジ卒業製作ウォッチ - About Watch Diary

前項の番外編として、關氏の着用時計を拝見させていただいたので、少し書き連ねる。本作品は彼の第2作目である。ちなみに、前項の卒業製作懐中時計は3作品目。

本作品はリストウォッチであり、スモールセコンドを備えた3針時計である。全体的な造形はヴティライネンのvingt-8をインスパイアしたようだ。たしかに。ケースやラグの造形は類似しているように思えるが、細かな仕様はオリジナルである。ケースは全て新造しており、真鍮材に金メッキを施している。ケースはラウンド型であり一見シンプルだが、ラグの造形は特徴的である。ディアドロップ型のラグはミドルケースと別体であり、ラグ棒により接続されているため稼動する。そのため、腕馴染みはとても良い。

ダイヤルはおそらく真鍮材を旋盤で切削をしたものだろう。アワートラックはサークル上のヘアライン仕上げ。インデックスは全てアプライドであり、足により確実に固定されている。白に発色した箇所はエナメルペイント。アワートラックの無骨な質感とは対照的に、エナメルペイントの塗布面はトロッとしており質感が美しい。針は青焼きのスペードハンド、これは前項の懐中時計と類似している。やはり、袴を立体的に仕上げるエッセンスは製作者のポリシーなのだろう。私もこれにはとても共感できる。

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背面はグラスバックとなっている。愛好家であれば、このムーブメントがユニタスであることを認識できるだろうが、仕上げレベルは非常に高い。ムーブメントは全て金メッキを施している。メッキを施すため、ベースのメッキ下地は一度剥がしている。全面にかけてポリッシュをかけて下地を整え、その後にコート・ド・ジュネーブを再度仕上げてから金メッキ施している。これだけでも相当な手間である。そして、地板には有りとあらゆる箇所にペルラージュが施してある。もちろん、ブリッジで覆われている箇所も全てである。バランスコックには、やはり彫金が施してあり、これは前項の懐中時計と同じである。

特徴的な稜線を描くブリッジは既存の受けに対してフライス加工をしたものである。よって、新造ではないわけだが、各種ブリッジの形状は違和感なく感じられる。面取りも当然施しており、入角と出角を強調させたデザインは、本当に手作業で仕上げたのだろうと連想させる仕上がりである。もちろん、彼のポリッシングは全て手作業である。受けから覗かせる2番車にはアミダが面取りされており、アメリカ懐中などに見られるゴールドトレインを思わせる。角穴や丸穴、ネジ頭の仕上げなど、とにかく各所に至るまで仕上げが徹底されている。

このようなオリジナルウォッチは本当に手作業で仕上げられたという温もりを感じるし、製作工程の苦難が如実に伝わってくる。製作者の貴重な経験談を感受することで、プロダクトの解釈や製作工程を推考することができる。ここまで来るとオタクの域であるが、やはり時計とはそれほど高い次元で形成されている。それらが最もわかりやすく具現化されているのがオリジナルウォッチであると感じる。

ヒコ・みずのジュエリーカレッジ卒業製作ウォッチ

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専門学校ヒコ・みずのジュエリーカレッジといえば、ウォッチコースがある事は時計好きであれば皆が周知の事だろう。本日は、ヒコみず卒業制作展にて展示されていた時計についてのエントリ。

まず、当作品の製作者である関に關氏についてであるが、ヒコ・みずのウォッチコース3年を修了後、研究生として1年間の時計製作にあたる。製作については校内にある作業設備の他、アルバイト先である時計店の協力もあり1年という短期間で卒業制製作を完成させた。

さて、完成品であるが作品名は《球体月齢表示 懐中時計》。作名のとおり、6時位置にある球体が回転する事で月齢を表示する3Dムーンフェイズが特徴的である。全体的なアピアランスは時・分・秒が全て独立されたレギュレーター式であり、その他にデイデイトとムーンフェイズが備わっている。ダイヤルにはギョーシェが施されており、針は全て青焼きによるブルースチールである。

まず、前提として彼の製作した時計にはCNC(数値制御)を用いた加工工程が存在しない。これは、CNCの設備環境が整っていなかったためであるが、結果として部品の新造は古典的な手動フライス盤やカム式自動旋盤を用い、最終的には手作業による仕上げと、まさに40〜50年代を彷彿させる伝統的な時計作りである。この前提を踏まえ、1年間という短期間でこれ程までの仕上がりは本当に素晴らしい事である。

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背面はグラスバックであり、搭載されるムーブメントを確認できる。ムーブメントのベースはETA7750である。巨大な球体である月齢機構を回転させるため、クロノグラフに搭載されるトルクの大きい7750が適していたとのこと。歯車や主ゼンマイは7750をベースとしているが、地板やブリッジは全て新造のため、輪列に関しても7750とは乖離している。そのため、殆どがオリジナルの設計である。

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テンプを拡大化させたいという製作者のポリシーにより振動数を8→6振動化されている。脱進機は既存の6振動ムーブから転用、テンプに関しては新造である。バランスコックはフライス盤による切削の後、手作業による整形と面取りを行い上面には彫金が施されている。彫金に関しては、製作者の知人である彫金師によるもの。アングルやガンギを支える単独のブリッジにも彫金が施されていることがわかる。

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角穴と丸穴まわり。角穴の円筒に打ち抜かれた端部は仄かに面取りが施されていて美しい。そして、巻き戻りを防止するコハゼも特殊な形状であり、コハゼ上部の長い板バネにより巻き戻りを規制している。これら主輪列を支える湾曲した大きな受けは、手動フライスによる曲線加工が困難なため、グラインダーで荒削りを行った後、手作業によりヤスリで整形しているのとこと。なんとも豪快な作業工程ではあるが、設計した形状を忠実に実現させるポリシーには感銘を受ける。

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本作品のキモである月齢とデイデイト機構である。月齢表示の球体はチタン製。一度真鍮で製作したが、切り替わり動作に不安を覚えたため、比重の軽いチタンに改めたそうだ。球体の青い箇所は熱処理(青焼き)によるものではなく、陽極酸化処理を施した酸化皮膜によるものである。ベースのチタン金メッキの球体に、別体の酸化処理を施した青パーツを対になるよう2つ配置し、これを59日で一周させるという仕様である。切り替えはクイックチェンジであるため、トルク設計は相当苦労したことだろう。4時位置と8時位置にはデイデイト表示が備わっている。デイト機構はディスク式ではなく、垂直に回転するドラム式のため、垂直軸に配置された機構がグラスバックから確認できる。

主輪列は全て上部(12時位置側)に集約されており、多層レイヤーに日付と月齢機構が複雑に重なり合う設計である。日付と月齢はすべて2番車の動力からバイパスされており、各輪列ともに仲介車を経て垂直軸に整流されている。巨大な月齢球体が6時位置に鎮座しているため、これを支障することなく配置された輪列設計は秀逸である。また、竜頭操作による日付の切り替えは、竜頭付近にスイッチングロッカーのようなシーソー型の整流装置があり、竜頭の回転方向によりそれぞれ月・日付の切り替えを単独で行うことができる。

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ダイヤルはシルバー材を旋盤によりギョーシェを施した後、白仕上げを行なっている。レギュレーターや日付のフレームは真鍮を削り出し、金メッキが施されたものだ。インダイヤルはメインダイヤルとは別体であるが、各パーツのチリ合わせも綿密であり違和感は皆無である。月齢のフレームは青焼きネジで固定され、面取りが施されていることを確認できる。針に関しても、熱処理が加えられブルースチールの発色が美しい。アローハンドとも思える針の形状はフライスによる繊細な加工が困難なため、手作業による整形である。そして、袴を強烈に意識させる立体的な造形は、球体をかわすように取り付けられたために生じたダイヤルとの高低差を視覚的にうまく緩和している。

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これらを格納するケースは真鍮に金メッキを施している。ムーブメントやダイヤルなどの真鍮にはすべて同様に金メッキが施されているため、全体的なアピアランスは非常に統一感がある。球体型の月齢を格納したムーブメントも相まってそれなりに厚みはあるが、ケース径は収まりが良く、ポケットウォッチとしてはこれはこれでバランスが良く思える。

どうだろうか。これを1年で製作した関氏は現在22歳。今後はアルバイト先である時計店に就職し、修理技師として職に就く。就職先では時計の製作環境が整っているため、今後も継続して時計製作は行なっていくとのことなので、今後の活躍に要注目である。実は關氏とはヒコみず入学以前から面識があったが、数年の教養と経験でこれほど素晴らしい時計を製作するまでになるとは思ってもいなかった。まさに、人生の可能性を感じることができる、そんな時計であった。

製作者のプロフィールを引用

關 宇譽護(Norifumi Seki) (@safasok) | Twitter

セラタニウムについてのインプレ《IWC》

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iwc.comより出典

先日、銀座に立ち寄ったついでにIWCのブティックに訪問した。お目当ては、SNSでは密かな話題になっていたIWCの新開発素材であるセラタニウムが初採用されたパイロットウォッチ・ダブルクロノグラフトップガン・セラタニウムである。今回は実際に本機を見てのエントリである。

本機のミソはなんと言っても、新開発のケース素材であるセラタニウムであるが、まずは外観全体のレビューについて。本機はパイロットウォッチ群でもトップガンの括りであり、当然ながらケース色はブラックである。驚いたことに、本機を除く現行のトップガンシリーズは殆どがセラミックケースである。一昔前はブラックPVDコーティングであったと記憶していたため、この変更に関しては率直であるが驚いた。

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iwc.comより出典

ダイヤルもケース同様にブラックである。インデックスの夜光は他のトップガンシリーズがホワイトカラーであるのに対し、本機ではマットグレーが採用されることで統一感は高く感じられた。インデックスは12時、3時、6時、9時位置は夜光付きのアプライドになっており、その他箇所はペイントである。クロノグラフ針と同軸にスプリットセコンド針が配置され、針先の赤のペイントと10時位置にあるプッシャーの赤いリングが唯一のアクセントとなる。

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iwc.comより出典

本稿の主題であるセラタニウムであるが、こちらはIWCの新開発素材である。セラタニウムはチタン合金の一種であるが、セラミックの主成分であるジルコニウムを添加し焼成路により高温処理を施すことで表面硬化しセラミックを形成する。結果として、チタンの軽量性とセラミックの耐傷性と双方の利点を兼ね備えたマテリアルである。また、セラミックの難点である欠損がなく、表面に形成されたセラミックはコーティングでないため剥がれる恐れもない。では、ここからが実機インプレである。本機を手に取ったファーストインプレは、「それほど軽くはない」。試しに純セラミックケースである他のクロノグラフトップガンと比較したが、やはり軽くはない。寧ろ、純セラミックの方が軽く感じた程である。スプリットセコンド搭載機であることを考慮しても、素材の軽量性を感じることはできなかった。アピアランスに関しては、セラタニウムとセラミックでは明らかな違いがあった。セラタニウムは仄かに金属的な輝きを持ち、例えるならばブラックPVDのような色合いである。陶磁器というよりは、明らかにそれが金属質であることを連想させる。耐傷性に関しては不明であるが、チタニウムが配合されていることや、表面の金属質な素材感を見るに欠けや割れによる損傷はないのだろう。それを象徴させるように、本機ではリューズやプッシャー、裏蓋なども全て同素材であるセラタニウムで形成されている(セラミックモデルでは別体パーツはチタン製)。ケース構成はパイロットシリーズ同様にミドルケースとベゼルが一体になったケース本体と裏蓋の2ピース構造。私個人としては、このマスプロダクト的な2ピース独特の削り出しケースは好きである。セラミックモデル同様にケース表面の仕上げはなく、艶消しのマットである。ケースの稜線はSSやチタン程のエッジは立っておらず、あくまでセラミックに近しい面取り処理が施されている。

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セラタニウムのインプレは以上であるが、最後にムーブメントについても少し触れておこう。本機はスプリットセコンド(ラトラパンテ)搭載機であるが、ベースムーブメントはValjoux7750である。そのため、リューズの巻き上げは7750独特のジリジリ音である。クロノグラフプッシャーもやはり7750感を色濃く残すが、スプリットセコンドプッシャーやリセットプッシャーとの押し心地もうまく調整されているため、不快感はない。ケース厚に関しても、他のクロノグラフと遜色ないため、汎用ムーブを上手くモデファイしていると感じた。

本機の価格は¥1,716,000である。同様ムーブを搭載したポルトギーゼ・ラトラパンテ(SS)の価格が約¥1,400,000であることを見るに、この差額が素材違いによるコストである。特段高すぎるという印象も受けないため、今後のセラタニウムプロダクトの展開に注目したい。