ラグジュアリースポーツウォッチの今後について

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思惟の余地があるかは分からないが、最近想いを書き連ねる。今後の業界動向を含めた考察である。以降は個人的な見解であるため、あしからず。

時計業界の流行にはファッション業界のような極端なトレンド要素がなく、潮流を推察することは難しいが、業界の牽引力で言えばやはり三大の影響力は大きいだろう。伝統と実績を積み上げた老舗メーカーはどこも硬派であるが、その中でもAPはアバンギャルドであり、まさに現代のトレンドメーカーであると感じる。対してパテックやVCに関しても、あからさまではないにしろ、時代を牽引していく使命感のような目論見は感じられる。

さて、業界のトレンドはまさにラグスポウォッチ全盛。これは軽快なライフスタイルを好む現代人の傾向が、ウォッチメーカーの提案とマッチした結果だろう。伴ってプロダクトは金無垢のハイエンドウォッチからSSやハイテク素材を使用したコンフォートブルな時計が売れる時代になった。各メーカーから提案された現行のプロダクトを照らし合わせることで現代の潮流はなんとなく感じ取れるが、長期的なトレンドを推測することはできないだろう。そこで、各メーカーが開発した基幹ムーブメントに着眼することで、長期的なトレンドを見据えることができると考えた。基幹ムーブメントの開発コストは莫大であるため、各メーカーが予期するビジョンの指標となる。これが私の考察である。

やはりキーとなるのは、三大メーカーのアイコニックピースであるスポーツウォッチ群、これらを元に話を展開したい。ラグスポウォッチの先駆けはご存知の通りAPのロイヤルオークであり、その出自は様々なシチュエーションに対応できる汎用性を兼ね備えたパッケージングを持つ。ローンチ時期は違えど、ノーチラスや222の出自もロイヤルオークと同様である。搭載するムーブは3社ともにJLC920であったため、オリジナルピースのケース厚は全て7mm台であり、自動巻としては極薄の部類である。

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audemarspiguet Instagramより出典

ロイヤルオークの代表作を時系列順に整理すると、ref.5402(オリジナル)→ref.4100→ref.14790となり、ここまではどれもJLCのベースムーブ搭載機である。主な変更点はケースサイズであり、時代の潮流にそぐわなかったjambo(39mm)からサイズダウンを図った流れである。大きな転換点は2005年初出のref.15300だろう。ようやくAPは自動巻の基幹ムーブメントを開発し、これをロイヤルオーク(ref.15300)に与えた。ケースサイズは39mm×9.4mmとオリジナルとまでは行かないが、十分なプロポーションを保っている。しかし、この背後でオリジナルを忠実に復刻したref.15202が発表され、次世代ROはこれに対して差別化を求められたことは容易に想像できる。こうした時代背景から世に出たモデルが2012年初出のref.15400である。ケース径は先代から2mmアップの41mmとなり、伴ってケース厚も若干厚みを増しブレスレットも重厚になった。しかし、搭載するムーブメントは相変わらずcal.3120であるため、全体的なプロポーションに間延び感が感じらた。これを改善すべく、APは次世代型の基幹ムーブメントであるcal.4302を開発、2019年初出であるref.15500に搭載したのが昨年のことである。これがロイヤルオークの出自から現在までである。

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オーバーシーズにも少し触れておく。オーバーシーズの名を冠したモデルが世に出されたのは90年代だが、これの前進となった222の初出は後発ではあったが、他メーカー同様1970年代である。前述したが、222の出自はRO同様であり、プロダクトを見ても間違いなくインフォーマルウォッチそのものである。その後、96年にオーバーシーズ1stであるref.42042が発表。搭載ムーブはGP製であった。続く04年にref.47040(2nd)が発表されるが、ムーブはやはり他社製でありJLC899である。転換期は16年初出のref.4500V(3rd)であり、これを機に自社製ムーブであるcal.5100が開発され、オーバーシーズの基幹ムーブとなった。

長らく出自の話になったが、ここでの論点はケースとムーブの適合性である。かつてはケースに独自性を与えるべく、搭載されるムーブメントは小径薄型が好まれた。70年代はこの傾向を顕著に感じとれる独特なケースディテールを持つ時計が多数ある。ラグスポ群のオリジナルピースに関しては、やはりJLC920の存在が大きく、これ無くしては成り得ないディテールを持つ。変化が訪れたのは90〜2000年台初頭、パネライを筆頭としたデカ厚ブームがトレンドとなり、多くのプロダクトがこの潮流に追従するようになった。ラグスポ群も例外ではなく、この頃から時計のケース径は40mm超えが標準となった。すると、かつてのJLC920のような繊細な極薄ムーブである必要はなくなり、より実用的なムーブメントを求めるようになった。APで言えばcal.3120になるし、VCは前述したGPやJLCになる。年月が経つにつれ、業界ではETA2020問題が懸念され、各社では自社ムーブメントの開発が加速した。こうして発表されたムーブメントはどれもハイスペックであり、以前までの繊細な小径ムーブでは太刀打ちできなくなった。こうした中で開発された三大の次世代基幹ムーブメントがAPcal.4302とVCcal.5100である。双方ともにロングパワーリザーブ化とストロングトルクで高い等時性を確保する設計だが、相対的にムーブは堅牢になり厚みも増した。そのため、次世代ムーブを格納するケースは徐々に肥大化していき、結果として現行ROとOSのケース厚は10mmを超えるようになった。

ラグスポ群の出自はどれもインフォーマルウォッチである。スポーツとドレス、この対局した双方に適する絶妙なプロポーションこそ故ジェラルドジェンタの思想である。しかし、現行のプロポーションは既にこの思想から乖離しているように感じる。現行モデルに対しての良否を判定するものではないが、これが時代の流れである。ラグスポウォッチの定石である薄型時計を掲げるならば、やはり10mmを下回ることが望ましい。そして、設計陣の中でも当然このボーダーは意識していることだろう。薄さとスペックのせめぎ合い、現代においては定石をエラーしてでもスペックを優先すべきというのがプロダクション側の見解なのだろう。その中でも、最も硬派であるのはパテックであり、ノーチラスのパッケージングは揺るぎない。現代においてもそのプロポーションは完全に保たれている。コレばかりはブランドの思想によるものが大きいが、やはりパテックは偉大である。

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さて、問題はラグスポ群の今後である。冒頭で述べたように、ムーブメントの開発コストは莫大であり、新作モデルの発表ごとにムーブメントを一新するわけには行かないだろう。1モデル1ムーブメントのような変態メーカー(アーノルド&サン)もあるが、ごくごく少数である。そのため、新開発されたムーブメントはメーカーにとってのビジョンである。そして、私の見解であるがAPcal.4302はROではなくCODE11.59に最適化されたムーブメントのように感じる。ミドルケース側面に表情を持たせ、厚みを巧みに処理する造形が何よりである。対してROは今後の発展が苦しい。14リーニュを要するcal.4302は高いポテンシャルを持つが、ケースの自由度を拘束する。そして、ベゼルをビスで固定するROの構造はムーブ容積を広く確保できない。こうした中で、ケースの発展が見込みづらいROの先行きはどうなるのだろうか。個人的には5402stオリジナルの太いベゼルを再現させるため、ケース径を数ミリ拡大さてでも相対的なケースディテールを保つ、こんな風に発展が向かうと面白く感じる。初代のプロポーションを保つには、ケースの肥大化が止むを得ずである。とすると、やはりcal.3120の方が使い勝手が良いのである。うーん、やはりパッケージングとは恐ろしく深い世界である...。